ドラマ「クンチョゴワン」の時代背景

百済第13代王・近肖古王(在位346〜375年)。
百済の王のうち、中国の歴史書に「百済王・余句」として初めて名前が記録された王であり、「古事記」や「日本書紀」などの日本の歴史書にも「照古王」「肖古王」などとして名前の登場する王である。

数多く制作された韓国時代劇でも初めて登場する人物であり、彼の活躍した4世紀中頃の百済もまた初めて映像化される時代である。そんな馴染みの薄い人物と時代であるが、韓国の歴史ではもちろん、日本の歴史においても深い意味を持つ人物である。


近肖古王の時代、これまで漢江流域の一小国家に過ぎなかった百済は、王権を強化し、周辺の小国家を征服して朝鮮半島南西部一帯に領土を拡張する。
さらに北の高句麗領内へも攻め込んで、371年には高句麗の故国原王を戦死させるという、目覚ましい発展を遂げる。

韓国の歴史の中で最初の全盛期を迎えたのが、この近肖古王の時代の百済なのである。


こうして強大な古代国家へと成長を果たした百済は、積極的な対外交流によって中国や日本とも親密な関係を結んだ。日本に学者の阿直岐や王仁を派遣して漢字や漢籍などをもたらしたほか、有名な七支刀を贈ったのが近肖古王とされる。
また中国(東晋)に初めて使者を派遣し、朝貢を行った。

一部の中国の史書には、この頃の百済が中国大陸の遼西地方を支配していたと伝えるものもあり、「百済遼西経略説」と呼ばれる。この説はさすがに韓国の学界内でも否定的であるが、百済出身の留学生や貿易従事者らが中国で集団居留地を築いていた程度の進出であれば、大いにあり得るところである。